地主にして相場師の吉野ダラー:辰巳旭氏

山林地主の吉野ダラー

昭和43年初めの大和ハウス相場では、吉野ダラーと呼ばれる山林地主の相場師グループが活躍したと言われています。

現在は、山林を持っていても、山の手入れなどが大変で国産木材は不振を極めていますが、奈良から和歌山にかけての紀伊半島は、良い木材が育つ山が広がり、高度成長の日本は、家を建てるのも工事現場の足場にも材木が必要で、山林地主の羽振りが良い時代がありました。

そのため、大阪の北浜の株式市場をその豊富な資金で荒らしまわったとして仕手筋「吉野ダラー」の名前が有名になりました。

吉野ダラーの辰巳旭氏

しかし、その中心人物であった辰巳旭氏の話によると、元々、大和ハウスの創業者一族の石橋氏自身が吉野の出身で、大和ハウスの経営が苦しいときに頼まれて株を買ったまでの事とのこと。

実際、大和ハウス創業者の石橋信夫氏の一族が大阪や奈良で不動産業を営んでいたり、辰巳氏が団地開発や信用金庫経営を行っていたことから、仕手というより買い支えの面が強かったのかもしれません。

仕手筋は、勝ち逃げが難しく、一時的に儲けることが出来たとしても、勝つごとに次の勝負に全財産をつぎ込むことを繰り返すため、負けた時が全財産を失うような負けとなり、破綻してしまいます。

その中で、吉野ダラーの辰巳旭は、株式相場にのみ力を注ぐのではなく住宅・団地開発などに注力することで、事業運営の道に進み、勝ち逃げを成し遂げた数少ない人物の一人といえるでしょう。

吉野ダラーという名前は、今でも仕手筋相場の中で話が出てきますが、伝説の存在だと思います。

木材の価格が下がり林業が振るわない現代では、吉野の材木で相場を張り、仕手相場を作る程の大きな力は出せません。

吉野木材(吉野杉や吉野檜)

吉野ダラーの富の源泉となったのが、吉野の木材です。豊臣秀吉の天下普請、江戸時代の木材需要・明治から昭和の建築ブームまで吉野杉などの吉野の木材が、その品質の良さで人気を呼びました。吉野を含む紀伊半島の山々は、雨も多く木が育つためには理想的な環境です。吉野の奥地に入った方はその緑と奥深さに心が震えることでしょう。また、吉野の桜は、最も美しいと、古来から和歌に詠まれている程です。


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吉野材の最大の特長は、芯が円心にあり曲がりが少なく、年輪巾が適度に細かく均一であること。 そして色つやが良く光沢にとんでいることです。 年輪巾が細かく均一であるということは、そのまま強度が高いということにも繋がります。出典:吉野の木のこと

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